ホーム > 今昔物語 道永真由己 VOL.3
高3になり、今後の進路を決める時期がきました。
音楽の道を諦め、得意だった英語の能力を活かそうと留学を決意するのですが、両親の反対、金銭的な問題等でその時は一時断念。
長崎の短大で、卒業後に海外の大学への編入留学を斡旋している学校を、指定校推薦で募集しているというのをたまたま知り、なんとか両親を説得し、英語の中学教員免許を取得することを条件に、県外の学校へ行かせてもらうことになりました。
長崎での2年間の短大生活では、親元を離れ一人暮らしをしました。
なんだか、自由で華々しいものをイメージしていたのですが、地味に忙しい日々で、留学の為の授業や教職の授業等、勉強とアルバイトに明け暮れたあっという間の2年間でした。
その当時は、留学することが目標だったので、それはそれで楽しくもあり、充実した短大生活でした。
留学先に決めたのは、アメリカ。
テレビで見るニューヨークや、短大の時にホームステイをしていた西海岸での生活を夢見ていたのですが、なにせ学費が高い!
安全面や学費を考慮し、選んだのはテネシー州というどちらかというと南部よりのテネシー州立大学マーティン校でした。
テネシーは、ジャックダニエル、エルビス・プレスリー、テネシーワルツやカントリーミュージックも有名です。
アメリカは本当にだだっぴろい所で、私が住んでいたマーティンという街は、「ど」がつくほどの田舎で、時間が止まっているかのような、何もないのどかな田舎町でした。
大学も自然に囲まれた広大な敷地で、移動も車でするほど。
最初の1年は、寮に入り、大学に付属している語学学校に通いました。
大学は、中国、韓国、タイ、日本人が圧倒的に多く、先生も留学生向けなのでとても優しく、分かりやすい授業だったので苦労という苦労はほとんどなく、楽しく学校生活を送れていたのですが、本当に大変だったのは大学に入学してからでした。
まさしく、アメリカの大学は入るのは簡単、卒業が難しいという話は本当でした。
私は、旅行学と心理学の2つを専攻しました。
短大を卒業しての編入留学でしたので、名目では大学3年生として編入したのですが、日本からの単位がほとんど認められず、3年生なのに1年生が履修する単位からの取り直しでした。
1クラス40~50人のクラスの中で、留学生が1人いるかいないか。
そこで初めて、南部訛りの流暢な英語での授業がスタートしたのですが、先生が何を言っているのかさっぱり理解できませんでした。
東北弁を早口で話されたみたいな感じです。
英語が聞き取れない、相手が何を言っているかもよく理解できないので意思疎通もままならず、そして、文法を気にするあまり英語が話せないという「言葉」の壁と、南部は保守的な方が多いので、「人種差別」という壁、そして、文化や宗教の違いに、初めての「挫折」を経験するのでした。
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