ホーム > 今昔物語 道永真由己 VOL.2
記憶は全くないのですが、どうやら私は「ピアノを習いたい」と言ったようで、4歳から音楽教室に通いだしました。
そこで、先生に「教室で一番上手!」とおだてられ、あのおてんば娘が一転して音楽の道にはまっていくのでした。
ピアノの他にも、幼稚園では鼓笛隊、小学校では合唱とブラスバンド部でトランペット、そして放送部も兼任、中学・高校では、吹奏楽部でクラリネット、高校では部活以外にもバンドを組み、キーボードを担当し、ライブ活動もしていました。
所〇ョージさんが司会をされているテレビ番組「〇ってこらえて」で吹奏楽部の特集があると、見ちゃいますねぇ。涙をウルウルしながら興奮して見てます(笑)
4歳から始めたピアノ。
辞めたい時期こそありましたが、高校3年までの14年間続けることができました。
一度は音楽の道を試みたこともありました。
進路の1つとして音大も視野に入れ、音楽の理論や楽典、声楽、実技など専門の先生に本格的に教えて頂いていたのですが、理論的なものがどうも苦手で全然頭に入らず、音大に行った後の将来も見えず断念してしまうのでした。
好き嫌いがハッキリしていたんです(笑)
この好き嫌い、物心ついた頃にはハッキリしていて、勉強面にも如実に表れていました。
音楽、英語は大好きで、成績は常に「5」。英語は、模試で100点をとるほどの実力でした。
逆に、理数系が苦手で、まさかの赤点をとったことも何度か(笑)
授業も聞かず、勉強も全然しなかったので、成績は当然「2」。
それを見るに見かねてか、中2の夏、父親が家庭教師を連れてきました。
その成果もあって、高校は母の母校でもある地元では有名な進学校に入学することができました。
高校に入って、部活に勉強に、恋愛に(?)、楽しい高校生活でした。なぜなら、担任の先生が世界史の長身の若くて爽やかなイケメン先生だったから(笑)
その先生に褒められたい一心で、もちろん世界史だけでなく、全教科頑張りました。
当時、私たちの高校では、試験結果上位10人の名前が貼り出されていたのですが、そこに名前が載ると、先生から褒められて嬉しいだけでなく、親からもお小遣いを貰えたり、欲しいものを買ってもらえるという特典ももれなくついてきました。
目の前においしそうな人参がいくつもぶらさがっていたせいか、がぜんやる気満々でした。
私の性格を見抜いて、親が勉強するようにしむけたのでしょうね。
私は、それに素直に乗っかって喜んで勉強していました。
なので、高校2年頃からは、上位5位以内には常に名前が載っている、いわゆる優等生ちゃんでした。
その後、爽やかイケメン先生はどうなったかというと、私たちが卒業した後、隣のクラスの女性の先生とご結婚され、私の淡い恋心も泡となって儚く消えていったのでした。
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