今昔物語 スタッフ 佐久間舞 VOL.4

前回は消極性に磨きをかけていった(?)中学時代のお話でした。

今回、花の女子高生編です。
ミニスカートに大きめカーディガン、覚えたてのお化粧にふんわり良い香りのする女子高生...には程遠く、制服も校則も(ほぼ)ない女子校に入り、とにかく自由で愉快な高校時代を過ごしました。

いわゆる進学校でしたが、ガリ勉よりも「ぶっ飛んだ」タイプが多く、一風変わった友達と謎の遊びをする日々でした。夕方暗くなった教室で黙々と天井に向かって机を積み上げたり、美術室でキムチ鍋をしたり...わたしの青春は辛酸っぱい香りです。

つい先日、たまたま卒業式の写真を見る機会があったのですが、制服がないので仮装大会さながらの様相。十二単、新選組、水着、バニーガール、自作コスプレ、ウエディングドレスなどなど、個性が溢れ出していました。保守派のわたしは無難な袴姿でしたが。

選んだ部活は軽音楽部。
バンドマンに憧れ、一時期は髪型も服装も男の子みたいにして、男性ファッション誌を愛読していたことも。肝心の楽器(ベース)は全然上達しなかったけれど、部活にCDにライブに雑誌に、とにかく音楽にお金と時間を費やしていた時期でした。
高校生のバンド大会に出たり、文化祭のステージに立ったり、定例ライブに卒業ライブと、今以上に消極的だったのによく活動できていたなと思います。

ちなみに当時仲の良かった子が「自律神経失調症かも」と話していたこと、今の仕事を始めてから思い出しました。その子とは、あまりに勉強する気が起きず「うちらアパシーシンドロームじゃね?」(←倫理の授業で習いたての言葉。無気力症候群)なんて笑い合っていましたが、実は結構苦しんでいたのでは...と今になって思います。

勉強も「自主性」優先の学校で、赤点の基準がゆるくめったに取れない(のに数回取った)し、「ちゃんと授業やるから、あとは各々頑張りなさい」みたいなスタンスでした。雑誌と音楽にかまけて勉強しない自由を謳歌していたわたしは、卒業したら東京行って最新の文化に触れたい!程度の考えしかなく...

当時の興味の向く先は、音楽とファッション。
しかしほぼ全員大学受験するような学校だったので、なんとなく断念。なんとなくの消去法の末、母の静かな圧力(この大学行ってほしいな~)に屈してとある都内の私大を目指すことに。その時々の選択はいつも「なんとなく」で軽いものだったのですが、「実家を出て生活したい!」「キラキラした東京さ行ぐ!」のモチベーションは強し。
兄もすでに上京し、相変わらず仲の悪い両親のいる家など早く出たかったのですね。
試験当日は謎の運と火事場力を発揮し、見事に合格を手にしたのでした。ヤッター!

そしてまだまだ挫折を知らないわたしは、この先に広がる「自由」に目を輝かせていたのでした。都会の怖さも知らずに...。

次回、なんだか色々こじらせていた大学時代のお話です。


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